夢への誘い

愛媛県在住。学校の先生。自由に楽しく、豊かに生きていく。そして、幸せになることが、私の生きる意味です。そんなことを語りたいだけ。

幻想教育

学校の先生は、

一般常識が通じないとか、世間とずれている。

そんなふうに言われているから、視野を広げて教養を身につけていかなければなりませんよ。

 

大学時代にそんなことを言われた。

その時は、なるほどな。と思っただけで、深く考えることはなかった。

 

先生になり、学校で子ども達と関わる中で、あることに気がついた。

学校の先生が世間とずれていて、当たり前だと思った。

 

ケンカがあれば、ケンカはいけません。よく話し合いをして解決しましょう。と言い。

暴力があれば、絶対に許しません。何の解決にもなりません。と言い。

不正があれば、正しいことをしなさいと言ってきた。

それは、どの学校でも行われている、学校の当たり前だと思う。

そして、立派な大人になるためによく考えて勉強しろと、多くの教員が子ども達を育てているのではないだろうか。

 

ニュースを見れば、殺人、犯罪、自殺、戦争、差別、隠蔽、不祥事…大人の悪いことばかりが目につく。政治家だって、学校の先生だって、ニュースでたちまち悪者として扱われる。

 

そんな世の中で、

何がケンカはダメだだよ。

何が暴力はダメだだよ。

何がみんな仲良くしなさいだよ。

何が正しいことをしなさいだよ。

 

大人だって全然ちゃんとしてないじゃないか!

現実に戦争も差別も無くなっていないじゃないか!

 

そんな事実があり、子ども達もきっと感じてるんだよ…。

 

そんな世の中でも、先生になったからには、子ども達には指導しなきゃならない。

どうせ戦争は無くならないんだから、お前らだって殴り合い争えばいいなんて絶対に言わない。

 

未だ人類の踏み入ったことのない、幻想の世界の話を、さも現実のように、当然のように話しているのだ。

そんなことだから、世間とずれてて当たり前なんだよな…。

 

そんなことに気づいてしまった。

この世に希望はあるのだろうか。苦しい未来が待っているのではないだろうか。そんな時代を生きる子ども達に、無責任に希望を持たせることが、果たしてよい教育なのだろうか。

 

それでも子ども達に、どう生きていくか問い続けなければならない。

私に何ができるのだろうか。この問いが教員として働く意味につながると信じている。